yh氏の日記

主に買った本を、メモがてら、ずらずら書いていきます。他に言葉集めなど。過去記事鋭意編集作業中。

ノヴァーリス作品集Ⅰ

ノヴァーリス作品集Ⅰ】ノヴァーリス 今泉文子訳 ちくま文庫 ★★★ 2008.8.26

 

 ノヴァーリスが気になり出したのは、奥泉光「ノヴァーリスの引用」を読んだあたりで、ノヴァーリスに「青い花」という代表作があることを知り、また一方でつげ義春「紅い花」という好きな作品があってその繋がりでガルシン「赤い花」という作品を読んでみて――花は花でも紅、赤、青か……というまあ、結局タイトル繋がりで「青い花」という作品をいつか読んでみるかという気になっていったという、まわりくどい動機がある。そういった機運がやや熟してきた頃、丁度ちくま文庫からノヴァーリス作品集(全三冊)が刊行され始めていて、岩波文庫ではなく、そちらで読もうと思い日々を送っていたところ、まずこの第一巻が(古本屋にて)発見された。

 本巻には「青い花」は収録されていない。自然小説なる「サイスの弟子たち」と、多くの哲学的/他学究的断章が主たる内容。

 "自然は開かれた書物"である。読もうとしないものには読めない。芸術家は、絵画や彫刻等により自然をより分かりやすく表現する実践者。思想家は、自然を抽象し図形化を手段として、より高い精神を得る。詩人は、卓抜なる感受性で自然が持つ想像力から人間の心と見事に共感する。――というわけらしいが、何人(なんぴと)も(何を職とする者も)、その本気で自然を読もうとしそれにより自らの精神をより高次のものへと化すことを望むなら、自然の中に生き自然の一部と化しているその人自身の、自然に対する謙抑の心がまず第一に必要なのではないだろうか。私は、このトヤマの地に移り住んで、否(いや)が応にも人間と自然の関わりをより強く意識している。それは見事に扇状に広がる田畑、それは網の目のような水路、それは港湾地区の防波堤(、それはヨハン・シュトラウス)。まとまらないが、何か結構読み込むことができた手応えがある。

 さて、その他断章群だが、まず断章という言葉の意味を勘違いしていた。断章とは、"章が断たれる"の意から、文章や章が尻切れトンボになることだと思っていた。正しくは、"断たれた章"の意で、文章や章がの断片を指す。これまで余り触れたことのない形式の文章というか作品だったので、新鮮であり時折の快感もあって(付箋を付けたくなるような断章も多々あって)、ノヴァーリスのファーストコンタクトは上々の内に幕を閉じた。

 いよいよ「青い花」が楽しみである。

 

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 謙抑・謙遜は、「神曲 煉獄篇」のテーマでもある。