yh氏の日記

主に買った本を、メモがてら、ずらずら書いていきます。他に言葉集めなど。過去記事鋭意編集作業中。

今日買った本

■今日買った本。計7261円。

 

a)9kにて。

1・若一の絵本制作実行委員会・文、長野ヒデ子・絵『ひらがなにっき』解放出版社 ¥625

2・江國香織・詩、井口真吾・絵『いちねんせいになったあなたへ』小学館 ¥625

3・スミス夫妻・作、今江祥智訳『もぐるぞもぐるぞどこまでも』ほるぷ出版 ¥625

4・ジョーン・ゲール・ロビンソン・文/絵、小宮由訳『庭にたねをまこう!』岩波書店 ¥625

5・フィービとセルビ・ウォージントン・作/絵、まさきるりこ訳『パンやのくまさん』福音館書店 ¥625

6・なかやみわ・作『くろくんたちとおえかきえんそく』童心社 ¥625

 

b)楽天ブックスにて。
7・北川民次『絵を描く子供たち メキシコの思い出』岩波新書 ¥1000
8・イジー・ヴォルケル、大沼有子訳『製本屋と詩人』共和国 ¥2511

 

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 子どもの通学グッズを買いに街に出たのだったか、この記事は実は1ヶ月後に書いているので、外出のわけはもう忘れたけれど、まあとにかくそのついでにa)へ寄ってみた。各本の値段は、メモできなかったので、総額を購入冊数で単純に割った数字を当てている。あと、家にあった不要な本を7冊売って、540円になった。b)は、2/20に注文して、この記事の日付の翌日である2/24に受け取ったもの。クーポンとポイント利用で、383円分安く買っている。

 1:わかいちのえほんせいさくじっこういいんかい。

 2:

 3:妻カトリオナ・スミス、夫レイ・スミス。夫妻の児童物の処女作品で、本作で1978年度ドイツ児童文学賞(絵本部門)を受賞したとのこと。

 4:こみやゆう。

 5:

 6:クレヨンでお絵描きして遊ぶ本。だが、前所有者が既にあれこれ描き込んでいるので、そのようにして遊ぶ余地がほとんどなくなっていた。それを購入前に分かっていながら、同行者が欲しい旨を強く伝えてくるので、特に指摘することもなく購入。

 7:仕事の昼休みにちょこちょこ読み進み、2023/3/22に読了。1925年頃から1937年にかけて、メキシコの野外美術学校などで、地域の人や子供たちに絵を教えていた著者の教育実践の記録。以下気になったところをメモ。p.31、絵の天才たちが才能を失う原因は、3つ。"怠惰"、"高慢"、そして一番始末の悪い"なんの理由もなくただ駄目になる"場合。p.58、インディオによるスペイン人たちの蔑称は"ガチュピン"、同様にアメリカ人を"グリンゴ"と呼ぶ。p.63、著者は絵を描くことを教えない先生として振る舞っている。p.70、生徒が技法濫用をするようになるのは、マンネリズムに陥った証拠。そういうときは外科的手術として油絵ばかり描かせるのをうまく辞めさせて(油絵の具が今不足しているんだとかなんとかごまかして)、水彩画を描かせてみる。そうすると新しい驚きや発見、造形的困難へのぶつかりと取っ組み合いから一つ二つの獲物をとってきて前進する。p.122、ペドロが捕まえてきたガラガラ蛇を、校長が空気入れで口から空気を入れて破裂死させた。p.176-177、慈善家のアメリカ人による子供たちへの絵画教室の方針は、靴磨きや荷運びをやめて(それが子供たちへの救いになるはずという思い)、良い才能に恵まれているのだから絵を描きに学校に来なさいというものだった。この教室を引き継いだ著者は、靴磨きや荷運びもどんどんやりなさい、でもここには絵筆も絵の具もあるから絵が描ける、絵も描きに来なさい、といった風の方針で、実生活の絵をどんどん描かせた。アメリカの児童画は気楽な遊戯で、メキシコでの児童画は、大きな自由を得ようとして戦っている絵を描く。p.193-194、カサ・キタガワを訪ねてきた人いろいろ。世界旅行家バートン・ホルモス、のちにリンドバーグの妻となったエリザベス・モロー(調べてみたら新潮社などから出ている『海からの贈り物』の著者だった)、藤田嗣治国吉康雄(ヤスオ・クニヨシ)、イサム・ノグチ、画家モオリス・スターン、版画家ハワード・クック。p.203、日本に帰国して数年し、児童絵画教室を始めたときのこと(1949年名古屋)。日本の子供たちは、度々どう描いたらいいか聞きにくる(これが最も好都合ないい草というわけだ)。彼らは何か言って欲しいのだ。つまり、日本の児童に多くみられる依存癖が頭をもたげている。日本の児童は、独立的精神が傷付けられている。p.211~、"獲得した自由が児童の精神を独創的にする"。自由は与えられるものではなく、獲得するものである。その人自身の、現実の、生きた問題・生きた圧力にぶっつかって、初めて本物の自由を願望することができるようになる。p.218、日本の親は、児童がおかれているこの国の教育環境はよくないものだと捉えていて、どうにかしてこの悪い環境の中から救い出して、すぐれた人間に育て上げなければならないと考えている。その愛情の中に不安や恐怖心が混じっていることは見逃せない。メキシコでは同様の不安はありつつも、もう少し楽観的で、自分たちの力で社会はもう少し改善できると考えられているようだが、日本では運命的、不可抗力と考える傾向がある。

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